日蓮聖人の他宗折伏の概要
第一 はじめに
日蓮聖人の諸宗折伏を標語化したとも言うべきものを「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」というが、日蓮聖人自身はこれを四箇格言と命名したこともなく、またかかる成句を御書上に使用されたことは少ない。
ちなみに御遺文中、四箇を揃えて述べた文言を拾うと、文永五年(一二六八)の十一通御書の一つ『与建長寺道隆書』に「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の無法、律宗は国賊の妄説」(定四三〇頁)、弘安三年(一二八〇)の『諫暁八幡抄』に「我弟子等がをもわく、我が師は法華経を弘通し給とてひろまらざる上、大難の来れるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊と宣ふ故なり」(定一八四五頁)等とある位である。しかし、この四箇格言は、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。諸宗無得道、堕地獄の根元。法華経ひとり成仏の法なり」までを日蓮聖人の他宗折伏時の成句として、知る人ぞ知るものとなっている。
だが、何故そのように日蓮聖人は、他宗を非難折伏されたのか、その意味するところを批判される当事者の他宗の者は勿論、日蓮信徒も正確に理解していないのが現状ではなかろうか。
日蓮聖人の他宗批判について、当時の弟子の中にも誤解する者がいたようであるが、法華経を有難いと強調するのは良いが、他宗の言わば悪口を言うのは、いかがなものかという疑念をもち、折伏を独善・偏狭または排他的であるかのように批判する輩が今なお数多くいる。
そのように日蓮聖人を批判する者(日蓮聖人より折伏を受けた立場の者が大半であるが)の中には「日蓮は、念仏や禅・真言に遅れて立宗したため、目立つように激しく他宗批判をしたのだ。言わば自宗売り出しのための一種のパフォーマンスのようなもの」といった類の言辞を弄する者も多い。
しかし、もしそうであるなら、佐渡流罪を許され、鎌倉幕府より広大な寺社を寄進する旨の申し出があった時点で、その目的は達成されており、それを素直に受け入れ、以後安楽に権威ある官許の宗派として布教することも可能であった。しかし、そうはされずに、その申し出を清廉にして厳然と断り、身延隠栖をされたのであり、その一事を以てしても、下卑たこのような評論は的外れであることが知れる。
何故、摂受ではなく折伏なのかについては、「おわり」において触れるつもりであるが、時代は末法、大判すれば、本未有善の機、謗法の機なので、一念三千の仏種である妙法五字を強いて聞かせ下種結縁しなければならないと云う思いに立って、当然起こる法難迫害を忍んで他の謗法を批判し妙法信受を強く迫る化導法(折伏)を採るというのが重要御書「観心本尊鈔」にも示されている結論なのである。
しかし、そもそも、他宗の開祖や祖師といわれる僧が大人しく他宗のことはとやかく言わず、静かに自宗の教えだけを布教していたかというと、決してそうではない。全ての宗派は自宗のみ尊く、他宗(その中には法華経も含まれるが)では成仏できないと宣言しており、当然その事が最も衆生を惑わし、本仏の御教えから遠ざけさせ、仏種を断つ大悪となるため、日蓮聖人は、この事を憂い、どのような大難にも耐え、不惜身命の折伏をされたのである。
念仏の開祖善導は念仏以外成仏することは「千中無一」と断じ、法然は「捨閉閣抛」と正法たる法華経をも捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと一蹴し、禅は「教外別伝不立文字」と仏語を蔑ろにし、真言は法華を真言のみか華厳宗の下に下し、釈尊を大日の靴とりと蔑んだ。故に、その間違いを正されただけと言ってもよい。
よく他宗の坊主は、当方の折伏に、言葉がつまると「当宗も釈迦の教え、その非をあげつらうは釈迦の恥」と言って煙に巻こうとするが、ほとんどの宗派は何より日蓮聖人の御折伏以前に釈尊の金言を無視し、釈尊の御本懐法華経と久遠実成の御本仏である釈尊を誹謗軽賤しているのである。
何より釈尊御自身が「正直捨方便」を示され、法華経こそが釈尊随自意の御本懐の教えと明らかにされており、この事を日蓮聖人は、「法華独りいみじと申すが心せばく候わば、釈尊ほど心せばき人は世に候わらじ。 何ぞ誤りの甚だしきや」(持妙法華問答鈔)とご指摘されているのである。
日蓮聖人の他宗折伏を偏狭であるとか心が狭いと非難するとしたら、何より釈尊御自身こそが心せまき人と誹らなくてはならなくなるのであり、この折伏をこの様に批判することこそ、釈尊の顔に泥塗ることとなると心得るべきであろう。
そもそも、釈尊も日蓮聖人もこの法華経でなければならないと強く私たちにお勧め下さるのは、偏狭な思い込みや根拠のない独善によってではない。この法華経に依らなければ、真に本当の自分も社会もこの世界の様相も理解することが出来ず、故に真の世界平和も我等の幸福も実現しないとお解りであるからに他ならない。
いや寧ろ堕地獄の道へ踏み入れ、苦に満ちた人生を心配してのことである。
諫暁八幡抄に「他方世界よりは生れてまた死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し。これ皆三大師(注~弘法・慈覚・智証のこと)の科ぞかし。これを日蓮ここに大に見ながらいつわりをろかにして申さずば、倶に堕地獄の者となて、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすてざるべき。涅槃経に云く、「一切衆生の異の苦を受くるは、悉くこれ如来一人の苦なり」等と云云。日蓮云く、「一切衆生の同一の苦は、悉くこれ日蓮一人の苦なり」と申すべし」 とあり、趣意を現代語訳すると
「謗法の先師の教えに随って、日本国の多数の人びとが、この四百余年の間に死んで無間地獄に堕ちてしまい、また、その後、他方の世界から生まれかわってきた者も同じように地獄に堕ちてしまった。このような悲惨なありさまをみながら、知らぬふりをしてこれを正す為の折伏をしなかったならば、日蓮もともに地獄に堕ちて、十方の大阿鼻地獄を経廻らなくてはならないであろう。こう考えてみれば今生の身命を惜しんでどうして黙って見ていられようか、故に身命を捨ててでも法華経の弘通に努めなくてはならない。涅槃経の第三十八の迦葉品に、仏は「一切衆生がそれぞれの業因によって受けるさまざまな苦しみは、ことごとくこれ如来一人の苦しみである」と述べて一切衆生の多様な苦を仏が代わって受けようと説かれているが、それと同じく、いま日蓮は「一切衆生が受ける同一の堕地獄の苦しみは、みな日蓮一人の苦しみである」といわねばならない」と述べられているのである。
寧ろ我等衆生が教えを誤ったため受ける業苦も、我が苦であると、思われればこそ衆生をどうにか救おうと艱難辛苦をものともせず、折伏に奮闘されているのだと反って、唯々有難く感謝させて頂かなくてはならないはずである。
そして後述予定であるが、皆に仏性が在るということを示されている法華経は、その仏性がある者同士が敬い合い助け合う「共生」こそを理念としている教えであるので、無理矢理強制的に法華経を信じろと所謂独善的に排他的に布教するはずはないのである。寧ろ一人独りが「ああなるほど、法華経は素晴らしい」と納得してこそ、その仏性が目覚め、真の幸福が訪れるのであり、その原理を多くの人が理解し信じることが出来れば結果として、仏国土が形作られ、真の世界平和も実現するのである。
この法華経の理念に気づかず、ただ自宗の非を批判されると、理証・文証・現証を挙げて論理的に反論することもせず、自宗のみを尊いと言い募るばかりの他宗の過ちを正す必要から、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」という四箇格言が生まれたのであり、衆生を惑わし、本仏の御教えから遠ざけさせ、仏種を断つ教えである諸宗の誤りを的確に把握し指摘折伏することこそが、日蓮精神なのである。であるから、法華信徒の務めとして、日蓮聖人が各宗派のどの部分をどのように破折されていたのかを、我等門徒はしっかりと把握して、そのご意志を堅持しなければならない。故に、日蓮聖人がされた他宗折伏の概要をできる限り抽出し、我等もまた現代においてその精神を弘めるべく、その内容を紹介、言及していきたいと考えるのである。
第二 日蓮聖人の撰経の基本について
各宗派への折伏の論点を述べる前に、日蓮聖人が何故数ある仏教のなかで法華経でなければならないと結論付けられたかを知るため、まず、日蓮聖人の撰経の基本について触れたい。
一 依法不依人
まず第一に、日蓮聖人が「法華経でなければならない」という答を出すのに、現今の既成教団及び新興宗教各派のように場当たり的な依経選出(例 善導が『観無量寿経』を選び出したのは、無数の経の帰趨に迷い、「一切経蔵に入り、両眼を閉じて経を取る。観無量寿経を得たり」(浄蓮房御書)という経緯であって、眼をつぶってたまたま手に取った経文『観無量寿経』を所依の経典に決定したという道理に反した事例等・・後述予定)および霊感等に依拠した教義の創作等々と全く異なっているということをまず理解しておかなければならない。
日蓮聖人は、「如説修行抄」の中で
「所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只、仰ぎて仏の金言を守るべき也」と仰せられ、
また「開目抄」に
「普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも、経を手に握らざらんをば用ゆべからず」
とあり、「等覚」即ち「妙覚」の位である仏に匹敵するほどの悟りを得た最高位の菩薩であっても、その菩薩が仏の説いた「経巻」を手にし、その経巻通りに法を説かなければ用ゆるべきではないとの立場を貫かれておられる。
この事から見えるのは、何よりも日蓮聖人が大事にされたのが、釈尊の金言であり、涅槃経「四依品」に説く「依法不依人」の精神である。「法に依って人に依らざれ」すなわち、釈尊の金言に依るべきで、人師の言葉に誑かされてはいけないという意味である。撰経もまた釈尊の金言に依るべきで、人師の好みや相性で選ぶべきものではないと言う至極当たり前なことが基本となっている。
日蓮聖人は、釈尊一代聖教六万法蔵ともいわれる経経の全てを立宗に先立ち四回、更に「立正安国論」奏上前に一回、合計五回読まれたといわれている。これは大変な事で、世に名僧とか開祖といわれているような人物でも、一生のうちに一度でも通読していればましな方といわれる位のことなので、日蓮聖人の仏教研究ひいては法華最為第一の宗教的結論は非常に学術的な裏打ちに依っているということを認識しておかなければならない。
二 爾前無得道について
第二が爾前無得道論を基本としていることである。仏教は、インドから中国に移入された時、原始仏教から大乗仏教までが、成立の早晩にかかわらず一斉に伝播してきた。これを天台大師は釈尊が説かれたこれらの経典を、その説法の時機と内容の浅深を分類し整理したのが「一代五時」である。
この「一代」とは釈尊の一生の御教化のことで、『大智度論』の「十九出家三十成道」の説により、開悟後の五十年の説法が、五つの時期によって構成されていることを明かしたものである。「五時」とは「華厳」・「阿含」・「方等」・「般若」・「法華涅槃」をいい、天台の教学のなかでも、仏教の成り立ちを知る方法として、「一代五時」が基本となっている。「五時」の教判は日本にも伝わり、日蓮聖人もこれを仏教学の基本とされ、法華最為第一の根拠の一つとしている。爾前無得道とは、天台大師の五時八教判により、法華以前の華厳・方等・般若の諸大乗経は円教に蔵・通・別の三教を兼帯しており、折角の所具の円教も兼帯の三教に引かれて通教・別教に堕し、得道不能の教えとなる。故に純円の法華によらねば得道できないという教義である。
これは、法華経は釈尊の隋自意真実の教えであり、その説かれるところには、方便を設けず純粋に「円融円満」の教えが明かされたので、これを「純円独妙」といい、それで法華経を名付けて「円教」というのである。この「円教」の理の一部は「華厳時」・「方等時」・「般若時」にも一応説かれているのだが「蔵」・「通」・「別」の方便説が混合しているため、純粋な教えではないとされる。このため、それらを「爾前の円」といい、『止観弘決』によると、蔵・通・別・円の「四教」のうち「蔵」・「通」の二教は「教証倶権(仮)」といい、教法も証果も方便(仮)であって真実ではないとされている。「別教」は「教権(仮)証実」といって、教法は方便(仮)であるが証果は真実としている。それに比べ「円教」は「教証倶実」といって教法も証果もともに真実であるとしている。このことから、「蔵」・「通」・「別」の三教にも仏果を説いているが、「有教無人」といってそれは名のみであって、現実に仏果である成仏をした者はいないとされ、故に法華爾前の方便権教では成仏(得道)は出来ないというのが、爾前無得道論なのである。
【注解】 蔵・通・別・円とは~天台宗の教判にいう化法の四法のことで、
① 蔵は経・律・論の三蔵教 (小乗の教え=煩悩を断ずるために、空理を悟るべき ことを説くが、すべての実体をただ空の一辺のみと見るので「但空の理」といい、また偏った真理なので「偏真の空理」ともいう)、
②通は蔵教と別教に通じる教えという意味で通教 (声聞・縁覚・菩薩に通ずる大 乗初門の教え=諸法の本体に即し、そのまま空とする体空観を説くが、利根な菩 薩は、ただ単なる空ではないという中道の妙理を含む「不但空の理」を悟るも、鈍根な菩薩や声聞・縁覚は蔵教と同じく「但空」を悟るに止まったといわれる)
③別は前の蔵・通二教や後の円教と違い菩薩のみに別に説かれた教えという意味で 別教 (菩薩だけに説かれた教え=前の二教が空理のみを説くのに対し、空・仮・中の三諦を説くが、三諦は互いに融合せず、各々が隔たるので「隔歴の三諦」といい、一切の事物について差別のみが説かれて、融和を説いていない。また中道諦も説くが、空・仮二諦を離れた単なる中道なので「但中の理」という。さらに十界の因果を説くも、各々の境界を別個に説くだけである。したがって別教は三諦円融や十界互具の義もない不完全な教えとされる。)
④円は、円満融和の教え。空仮中の三諦の融和、十界互具を説く、最も優れた完全 なる教えという意味で円教 (完全円満な三諦円融法門)を言う【華厳~別・円、 阿含~蔵、方等~蔵・通・別・円、般若~通・別・円、法華~円 】)
念仏・禅・真言は方等部、律は阿含部であるから、すべて爾前経に所属し、従って無得道の教である。この爾前無得道論を基盤とし、それを各宗の特徴に合わせて換言すれば四箇格言となるのである。
そしてそれを証明する仏の金言として、法華経の直前に説かれた、この経の序分、無量義経(説法品)の「衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種々に法を説きき。種々に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には、未だ真実を顕さず。(未顕真実)この故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」が挙げられる。
この一節について、日蓮聖人は「如説修行抄」に
「この経の序分無量義経にして、権実二経の傍示を指して、方便真実を分け給えり」と示されている。また経文の金言として
法華経方便品 「正直に方便を捨てて但無上道を説く」
法華経薬王品 「諸々の如来の所説の経の中において、最もこれ深大なり」
法華経宝塔品 「是の如し、是の如し釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり」
※涅槃経「文辞一也といえども、而も義各異なる」
法華経法師品 「已今当三説超過」の教え
「我が所説の経典、無量千萬億にして、已に説き、今説き、当に説かん而も其の 中に於いて、この法華経最もこれ難信難解なり」
(注解~ 已とは四十余年方便権教のこと。 今とは今説いたばかりの無量義経。
当とはこれから説くであろう涅槃経のことで難信難解とは「最為第一」「超勝」「最も優れている」の意味で諸経のなかで法華経が最も優れた教えであるという仏の金言)等がある。
三 一念三千の法門について
さらに、第三としてこの法華経に説かれている根本教理の諸経に比ぶべくもない深甚重大なる内容によっても、その勝劣を判釈されておられるが、その差異を
「予、愚見をもて、前四二年と後八年の相違を鑑みるに、まず世間の学者もゆるし、我が身にもさもやと、うちおぼうる事は二乗作仏久遠実成なるべし」(開目鈔)
と示され、「小乗大乗分別抄」には、
「二乗作仏久遠実成をもて諸経の勝劣を定む」
と明言されているのである。
まず、御聖語に「二乗作仏なきならば、九界の衆生の成仏あるべからず」と、九界の衆生の成仏の要諦若しくは原理がそこにあることを示され、法華経にいたってはじめて今まで「永不成仏」であると成仏を許されなかった二乗も成仏が許されたが、実は二乗に限らず、我々九界の衆生の成仏にも大いに関係する重大事であると明かされたのである。ここに言う二乗とは「我等仏に従い奉り、涅槃一日の価を得て、持って大いに得たりとなし、この大乗に於いて志求すること無かりき」といった考えに囚われた十界の中の声聞・縁覚のことで、仏から「宇宙法界と無関係に単に自己のみに執着して迷悟を決すること事のみに心を囚われ、自他平等の精神を持たぬ者」として法華以前の経々では「灰身滅智」「煎った種から芽が出ぬ」のと同様に「永不成仏]であると成仏を許されなかった者達をいう。
(注解~二乗とは縁覚と声聞のことで、縁覚とは、飛花落葉を見て自ら無常を悟る者をいう。声聞とは、教を聞き、この世の無常を悟る者をいう)
それ故、阿弥陀経などの爾前権教ではこの二乗成仏が許されておらず、その事について、「下山御消息」において、「阿弥陀経(中略)四紙の一巻が内、都て舎利弗等の諸の声聞の往生成仏を許さず。法華経に来りてこそ始めて華光如来、光明如来と記せられ給いしか」と指摘されているのである。(この点、後に詳述予定)
それはなぜか?
天台大師は、法華経方便品の「所謂諸法の如是相・如是性・如是体」等により十如是を説き起こされ、法華経常不軽菩薩品の「我れ汝等を軽しめず」「当に作仏することを得べし」を人々に仏性のあることを示した典拠であると解釈され、涅槃経の「一切衆生悉有仏性 (全ての者の心の中に仏性がある意)」等を根拠として、一念三千の法門を示された。この事により、法華経とは全ての衆生に仏性あるが故に成仏できる由縁が明かされている経典であると明確となったのである。
一念三千の十界互具の法門が開かされ、「灰身滅智・永不成仏」の二乗でさえ成仏できるのであるから、悪人正機など当たり前のことであり、誰しもに内在している二乗性(二乗根性)があろうと、悉有仏性の一念三千の法門により、はじめて一切衆生が成仏できる理を明かされたのである。この点が教理の面で実に重要な点で、法華経が余経に比べ、最も優れた御教えである証拠とも云われているのである。
四 久遠実成について
第四に挙げられるのが、「久遠実成」の概念である。これは、法華経如来寿量品において仏の寿命の久遠実成なることを初めて明かされ、今までの方便仮の姿の仏や、始成正覚の仏身観を打破された。
日蓮聖人はこの事を示された「法華経如来寿量品」がいかに重要かを「開目鈔」において、
「一切経の中にこの寿量品ましまさずば、天に日月の、国に大王の、山河に珠の人に神のなからんが如し」
と述べられ、仏教の肝心要がここに表されているとご強調されているのである。
法華経の如来寿量品ではじめて、仏の本地をお示しになり
「皆今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず。道場に座して阿耨多三藐三菩提を得たまえりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百萬億那由佗劫なり」
「我れ仏を得てより来経たる所の諸の劫数、無量百千萬億載阿僧祇なり」
「諸の善男子、我れもと菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶つきず、また上の数に倍せり。然るに今実の滅度に非ざれども而も便ち唱えて当に滅度を取ると言う。如来は是の方便を以て衆生を教化す」
と經文に在り、更に御妙判に
「仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり」(観心本尊抄)
「法華経を信ぜざる人の前には釈迦仏入滅を取り、此経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏在世なり」
と釈尊は久遠実成の本仏であることを宣せられたのである。
そしてこの久遠実成の本仏釈尊は 主・師・親・三徳兼備の本仏であることが「今此の三界は皆是れ我が有なり(主)、其の中の衆生は、悉く是れ我が子なり(親)、而も今此の処 は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す(師)」
の経文より明らかとなっているとされ、さらに、その本仏は爾前権教の仏身観にはない、三身即一の本仏が顕現されている。
この三身即一の本仏とは、法身は 真理・実在の仏のことで、応身は慈悲の仏、つまり、化他の慈悲に出た仏であり、化縁があれば生じ、化縁が尽きれば滅する垂迹の仏であるから、元来は有始有終であり、歴史上の釈尊はこの仏と見られる。報身は智恵の仏で報身が因果を修証して法身を悟り、化他に出て応身を現ずることになる故、報身が中心の報身正意となるというのが天台大師の解釈である。
日蓮聖人は、その天台教判を踏まえつつ、法華経には、目の前におられる釈迦牟尼仏は、伽耶城近くで始めて成道したのではなく、久遠の昔に成道して、無量の寿命を保って今に法を説き続けていると説かれている。そして、滅度をとるというのも衆生教化の方便として仮りにその姿を示してみせるのであり、真に入滅するというのではない。未来においても、いついかなる時においても、仏を希求するものにはその姿を現すというのである。それを、「法華経を信ぜざる人の前には釈迦仏入滅を取り、此経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏在世なり」等の御妙判で示された。本仏たる釈尊は、決して有始有終の存在ではなく、現に常に応現して下さる存在と捉え、応身正意に重きを置いた解釈をされているのである。
これまでの爾前権教での仏身観は法身の常住性は説かれているが、日蓮聖人は、『法華真言勝劣事』に「大日経並に諸大乗経の無始無終は法身の無始無終也、三身の無始無終に非ず」(定三〇八頁)、「開目抄」で「法華経前後の諸大乗経一字一句もなく、法身の無始無終は説けども、応身、報身の顕本は説かれず」(定五五二頁)と述べられ、大日経をはじめとする余経の法身中心主義を否定されている。
応身の顕本とは慈悲救済の活動が本時以来反復されているということであり、報身の顕本とは釈尊の成道は伽耶始成ではなくて久遠実成であるということであり、応身・報身が顕本されて無始無終性が顕われると、法身の無始無終ばかりでなく、三身の無始無終が顕れることになる。これは、仏を単に永遠な抽象的理法や真理といった側面だけでなく、また歴史的にインドに出現して八十才で亡くなられた有限な釈迦にとどまる事無く、時間、空間を越え、しかも現実世界に活現し躍動する理、智、悲の当体たる実在永遠の生命であると捉えた仏身観なのである。
日蓮聖人は、これらの理由に基づき、法華経を撰経された。それに反し、仏の御教えから大きく逸脱してしまっている他宗に対し、また時の権力者に対して、仏法の正邪の乱れが社会国土の混迷荒廃を引き起こすとして、「立正安国論」を上程し、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(同書二二六)と一切衆生救済のために立ち上がったのであった。その趣旨のもと獅子吼されたのが「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊。諸宗無得道、堕地獄の根元。法華経ひとり成仏の法なり」の四箇の格言であり、これは他宗に迷える衆生救済の慈悲の発露と捉え、読み進めて頂ければ幸甚である。
第三 他宗折伏の概要について
一 浄土教に対する折伏の概要
- 1 はじめに
-
浄土教は、中国に二世紀の後半に伝えられ、五世紀初めに慧遠が白蓮社という念仏結社をつくり、曇鸞が浄土三部経から『往生論注』を著した。その後、道綽(562-645)が『安楽集』を著し、自力の行を励んでこの世で悟りを開くことを目指す「聖道門」(釈迦仏教正統の教え)を否定して、阿弥陀の本願を信じて念仏して浄土に生まれ来世に悟りを得ようとする浄土門を勧めた。善導(613-681)が『観無量寿経疏』を著して「一心に阿弥陀如来の名号を称えるならば、阿弥陀如来は決してその人を捨てず、救ってくれる。なぜなら、それが阿弥陀仏の願だからだ」と主張して称名念仏の浄土教を確立させた。
日本では、七世紀前半に浄土教が伝えられ、九世紀前半に円仁(天台宗座主、慈覚大師)が中国・五台山の念仏三昧法を比叡山に移植した。良源(天台宗座主、慈慧大師)が『極楽浄土九品往生義』を、源信が『往生要集』を著して天台念仏教が誕生した。その後も末法思想の影響により、一遍が時宗を、良忍が融通念仏宗をそれぞれ開き、法然(1133~1212)が『選択本願念仏集』を著して称名念仏を主張して浄土宗を、親鸞が『教行信証』を著して専修念仏を主張し浄土真宗を開いたのである。
末法思想を背景にして日本の中で広まった他力本願の思想は、仏教の修行の伝統を根底から否定する新思想であった。
末法では、聖道門は悟りがたく、浄土門は容易だとし、ただ他力に縋って、自力を否定するのだが、これは、そもそも因果律を基本にされる釈尊の精神に相反するものであるとの批判がある。インドの浄土思想は、釈尊のその思想を継承するのが基本であったが、中国で変質し、さらに日本の浄土教のように菩提心(自力の向上心)を完全に否定する称名念仏や専修念仏の思想に至ると、本来の仏教と大きく変質したといえる。
釈尊の仏教精神を継承するインドの大乗の菩薩の中には、中国や日本のような称名念仏や専修念仏を広める者は存在しなかったようだ。この日本特有の浄土思想は、仏教の基本的精神や教理の縛りがある中で自然に発生する思想ではなく、釈尊の基本的御教の拘束を受けない者にしか持てない思想だと考えられている。つまり、涅槃経の法四依に違背した教えと言えるのである。(この点後述予定)
菩提心を否定する称名念仏や専修念仏の思想は、本質的には仏教といえるかどうかという疑問があるとまでいわれており、中国で大きく変質し、日本でさらに上塗りして変貌したと言える特殊な日本仏教(鎌倉新仏教または祖師仏教)の一つというべきものであるのだ。 - 2 日蓮聖人の疑問と悔悟 (浄土僧の堕獄死)
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日蓮聖人は、幼少時より両親と共に純粋に、仏教を信仰すれば必ず成仏できると確信し、念仏を唱えれば阿弥陀仏の極楽浄土に往生できると信じていたと思われる。その事は多くの御書のなかで告白されているし、その事が本当の仏法(法華経)を確信した後は、後悔の基ともなられたようであるが、しかし、かなり早い段階から、この念仏に疑念を懐かれていたのも事実であった。この疑念は「いささかのことありて」というできごとがあったからで、それはどのような事であったのか。 それは、念仏者が臨終のときに狂乱死したことを聞き、更には目撃をしたからであった。それを、『当世念仏者無間地獄事』に述べられている。
「念仏宗の亀鏡と仰ぐ智者達、念仏宗の大檀那たる大名小名並びに有徳の者、多分に臨終のこと思う如くならざるの由これを聞き、これを見る。(中略)而るに十悪五逆を作らざる当世念仏の上人達、並びに大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病、並びに臨終の狂乱は意得ざる事也。而るに善導和尚の十即十生とさだめ、又定得往生等の釈のごときは、疑いなきの処、十人に九人往生すと雖も、一人も往生せざれば猶ほ不審発るべし。何に況や、念仏宗の長者たる善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等、皆悪瘡等の重病を受けて臨終に狂乱して死するの由、これを聞き又これを知る。其の已下の念仏者の臨終の狂乱其の数を知らず」(三一二頁)
がその内容であるが、何より法然の師とも言うべき中国浄土経の大成者善導の死が狂乱死であったのである。その事は『念仏無間地獄鈔』に、
「所居の寺の前の柳の木に登りて、自ら頸をくゝりて身を投げて死し畢んぬ。邪法のたゝり踵を廻らさず、冥罰爰に見はれたり。最後臨終の言に云はく、「此の身厭ふべし諸苦に責められ暫くも休息無し」と。 則ち所居の寺の前の柳の木に登り、西に向かひ願って曰く、仏の威神以て我を取り、観音勢至来たって又我を扶けたまへと。 唱へ畢って青柳の上より身を投げて自絶す云云。 三月十七日頸をくゝりて飛びたりける程に、くゝり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、大旱魃の堅土の上に落ちて腰骨を打ち折きて、廿四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地しておめきさけびて死し畢んぬ。さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ。 此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云。而も流れを酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし云云。浄土門に入って師の跡を踏むべくば、臨終の時善導が如く自害あるべきか。 念仏者として頸をくゝらずんば、師に背く咎有るべきか如何」
とある。また、法然作と言われる『善導十徳』においても、「遺身入滅徳」として、善導の投身自殺を驚くことにむしろ讃えているのである。
法然の死はどうだったのかというと、慈円は『愚管抄』で、往生を見ようと人が集まったが、確かなる往生の現証はなかったと書いており、法然の高弟たちの臨終についても、『断簡新加二〇〇』(『念仏者臨終現悪相御書』)に、
「ここに第一の不思議あり。法然が一類の一向の念仏者法然・隆観・上光(聖光)・善恵・南無・薩生等、或二七日無記にて死者もあり、或は悪瘡、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、惣じて法然が一類八十余人一人も臨終よきものとてなし」(二九二五頁)と、全ての弟子が悪相で死んだとのべておられる。
日蓮聖人は若き頃、大阿に浄土を学んだが、大阿が疾病にかかり日夜苦しみながら、体は小児のように縮みあがり、肌の色は真っ黒にかわって狂乱叫喚して死んだのを見て浄土の教えを捨てたともいわれている。
ちなみに、浄土宗の正当な教義に認定された法然の高弟、聖光(鎮西)の『念仏名義集』の下巻に臨終行儀が記されているが、その中に「よくない様子の臨終では三悪趣(地獄道、餓鬼道、畜生道)に堕ちること必定」という記載があり、ここでは、臨終がどのような様子であろうと、みな極楽浄土へ往生できると主張する者がいるが、それはあきらかな間違いであると言っているのである。しかし、日蓮聖人のこの疑問を当時の浄土の学僧に質問しても、満足に「答える人なし」(『当世念仏者無間地獄事』三一三頁)という有様であったようで、日蓮聖人の念仏に対しての疑惑をはらす、学僧はいなかったのである。
この念仏信徒の臨終往生の悪相は、幼少の時からの、釈尊お説きの仏教ならばどの宗派でも有難いものであるとの思い込みや、無智無分別ではいけないと知った撰経の原点とも言うべき体験であった。そしてこの臨終については、念仏信仰者だけではなく、すべての仏教宗派に向けた課題にもなったのである。日蓮聖人は、仏教に違背する業因をつくり、その結果、悪道に堕ちることになると経文に説かれていることを知り、酒酔いがさめたときのように罪の意識が生じたと述べておられる。それが、念仏への悔悟となり、「念仏無間」を説かれるきっかけであったことは間違いないようである。
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目次
以下のような内容が書いてあります。
- 第一 はじめに
- 第二 日蓮聖人撰経の基本
-
一 依法不依人
二 爾前無得道について
三 一念三千の法門について
四 久遠実成について - 第三 他宗折伏の概要
-
一 浄土教に対する批判の概要
1 はじめに
2 日蓮聖人の疑問と悔悟(浄土僧の堕獄死)
3 浄土教とは
4 日本浄土教の教えの成り立ち
5 浄土教の教理とその破折ア 「千中無一」「捨閉閣抛」
イ 浄土観について
ウ 得道成仏の根拠が示されていないことについて6 親鸞(浄土真宗)について
7 おわりに~浄土教徒の権力に癒着し暗躍した歴史 -
二 禅宗に対する批判の概要
1 はじめに
2 禅宗の起源について
3 禅宗の始祖達磨の、禅の四つの教え(四聖句)について
4 禅三宗派の特徴と論点ア 臨済宗について
イ 曹洞宗について
ウ 黄檗宗について5 まとめ
-
三 真言に対する批判の概要
真言~その一
1 真言の概説(高祖日蓮聖人の解説)
2 即身成仏の根拠について
3 比叡山の真言化
4 真言宗を破折する(撰時抄現代語訳)○善無畏三蔵のたくらみ
【補則解説】
真言~その二
5 伝教大師の真言観とその後の延暦寺の謗法について
【補則解説】
真言~その三
6 空海の邪義を破折する
【補則解説】
一 空海の真言教学
二 真言教学の問題点(一)十住心論等の真言教学と高祖のご指摘
(二)真言の主張と本覚思想について
(三)真言宗は仏教と言えるのか真言~その四
7 寺泊御書にみる真言批判
8 釈尊から破折された真言密教の修行法
9 怪しい霊験話について真言~その五
10 星名五郎太郎殿御返事に見る論点
11 空海の晩年とその後 - 四 律宗に対する批判の概要(何故律国賊なのか)
- 五 南都六宗について
-
1 法相宗について
2 三論宗について
3 成実宗について
4 俱舎宗について
5 華厳宗について - 六 般若経(般若時)について
-
1 「般若時」とは
2 「六波羅蜜」とは - 七 小乗教について (大乗非仏説批判を考える)
- 八 日蓮聖人の神祇観と当宗の立場
-
1 はじめに
2 竜口御法難の鶴岡八幡宮諫言とは
3 高祖の神祇観の変遷①佐前の神祇観
②佐後の神祇観4 国家神道と宗教弾圧
① 国家神道とは
② 宗教弾圧5 神祇観のまとめ
① 神社は宗教施設ではないのか
② たとえ神社が宗教施設ではないとしても - 九 おわりに





